開田高原と開田早生

山に抱かれた
開田高原に
ひと目惚れして

御嶽山に抱かれた
開田高原に
ひと目惚れして

霧しな創業の原点は「本当においしいそばを、本場信州からお届けしたい。」という想いにあります。実現の地を探す中で開田高原に出会いました。私たちは眼前に広がる雄大な御嶽山にひと目で心奪われ、すぐに当時の開田村役場へ交渉に向かいました。たくさんのご協力を得て、標高1200mの地で霧しなのそばづくりは始まりました。

深い霧
柔らかな水
たくましい木曽馬

開田高原にはそばづくりの全てが揃っています。昼夜の激しい寒暖差とそれによって発生する霧、硬度が極めて低い御嶽山の伏流水が蕎麦本来の風味と旨味を生み出します。高冷地の厳しい自然環境の中で生きる木曽馬も農耕馬として蕎麦づくりを支えてきました。

厳しい自然を
人と共に生き抜いた
開田早生

『開田早生(かいだわせ)』は小粒ながら風味の高い玄蕎麦の在来種です。標高が高く一般的な蕎麦は育たないと言われる厳しい環境の中で、開田早生は高冷地品種として生き残ってきました。一時は失われる危機にも直面しましたが、この蕎麦の魅力を誰よりも知っている地域の方々、そして私たちが未来へと繋げていきます。

コラム

開田高原だからこそ
生まれた
この蕎麦を
これからも

開田早生 生産者
上野 俊実さん

標高1200mの開田高原は、冬にはマイナス20度になることもある寒冷な地域。

「寒い中で耐えてきた特徴が人にも蕎麦にも見て取れる。開田早生は小さい実の中に旨味が凝縮されているんだよ。」

と教えてくれたのは、この地で生まれ、蕎麦をつくり続けている上野さんだ。

日本では昔から、高冷地で霧が深い土地はそばのおいしい産地と言われており、まさに開田は霧が深い地域である。

「昼夜の寒暖差から生まれる霧は、夏の朝からの急激な温度上昇を和らげ、雨の無い時も葉っぱから水分を吸収できるように助けてくれるんだ。小粒の開田早生は、夏でも寒い夜から身を守るために糖分を貯め込み、旨味と香りがギュッと詰まった硬めの蕎麦になる。だから開田早生で打ったそばは腰と独特な甘み、豊かな香りがあるんだ。」

そして、霧しなのそばづくりでも使われている御嶽山からの天然水は、日本でも有数の軟水である。

「水がおいしくないとダメだね。お酒を飲まなくなって水の味が分かるようになったんだけど、開田の水はうまいね。」

と太鼓判を押す上野さん。

かつて開田高原では誰もが蕎麦をつくっていた。

「開田に嫁に来たらそば打ちは必須だった。どこの家にも水車があって、それで石臼挽きするんだ。木曽馬が生まれた時もそばを食べたし、お客さんが家に集まると必ず最後の締めはそば。腹一杯そばを食べてもらう、それが当時のおもてなしでね。」

高冷地での人々の生活に必要不可欠であった開田早生。祖先が守り育ててきたものを次の世代に残していくことは、開田の蕎麦づくりに携わる人たちの重要な課題である。現在は100人程の生産者と1つの生産法人が毎年80トンを目指して開田早生の生産に取り組んでいる。

霧しなでは2021年に『種まきからはじめる蕎麦の教室』を始めた。参加者は種まきからそば打ちまでの実践を通して自分にとってのおいしいそばを探っていく。上野さんは講師の1人として開田の暮らしや蕎麦の歴史も伝えている。

「自分でもおいしいそばって何かなと考えるけれど、奥が深すぎて判らない。でも、迷い工夫するのは楽しいし、仲間と一緒にそばを打ちながらお喋りをするのも楽しい。こんな素晴らしい『そば』を次の時代を担う子どもたちが食べてくれたら。」

『蕎麦を育てる人』と『そばのつくり手』
両者が手を取り合って、霧しなはおいしいそばを日本中の食卓に届けている。